保育園の お迎え時刻、 玄関の 三和土で、 隣の おばあちゃんが 孫の 靴の かかとを 直しながら 言っていた。 「言うこと きかないと、 鬼が 来るよ」。 孫は 一瞬 動きを 止め、 それから 何ごとも なかったように 靴を はいて 走っていった。 その 一連の 動作が、 妙に 長く 記憶に 残った。
「言うこと きかないと 鬼が 来る」 という 言いかたは、 いつ、 どこから 来たのだろうか。 そして 大人は、 なぜ 自分の 言葉ではなく鬼 を 借りようと するのだろう。
「鬼が 来るよ」 の 系譜 ─ 江戸から 昭和まで
妖怪を 用いた しつけが はっきり 史料に 残るのは、 江戸期以降である。 鬼・天狗・河童・閻魔 ─ こうした 名前が、 子どもの 行動を 制する 言葉として 日常に 出てくる。 民俗学者 宮田登は『妖怪の民俗学』 (1985 岩波新書) のなかで、 妖怪が 共同体の「見えない秩序」 を 担って きたことを くり返し 述べている。 大人が 直接 叱るのではなく、 共同体の 外側にいる 何かに 子どもを 向きあわせる ─ その 構造が、 村落社会では 長らく 機能してきた。
昭和の 初期まで、 地方によっては 節分の 夜に 大人が 鬼の 面を つけて 家々を まわり、 泣かない 子の 名を 呼んで 叱る 行事が 残っていた。 秋田の なまはげ も その 系譜である。 「悪い子は いねが」 と 上がり込む 鬼に、 子は 親の 後ろに 隠れる。 親は 鬼に 詫びて、 子の ふるまいを 約束する。 ここでは 鬼は 外側からの 介入者 として ふるまい、 親は 子の 側に 立っている。 叱る役を、 親は 鬼に 預けている。
香川雅信は『江戸の妖怪革命』 (2005 河出書房新社) のなかで、 江戸後期に 妖怪が もはや 畏れの 対象 ではなく キャラクター として 消費されはじめた 過程を 描いている。 鳥山石燕 の 図譜が 広まり、 妖怪は 怖くて 親しい、 という 微妙な 二重性を 帯びる。 この 距離感が、 のちの しつけ言葉の 土壌に なった、 と 読むこともできる。
妖怪は どこに 配置されて いたか ─ 危険のある 場所の 地図
日本各地の 伝承を 見ていくと、 妖怪が 出没する 場所には 一定の 偏りが ある。 山の 中、 川の ふち、 峠、 辻、 墓地、 夜の 道。 いずれも、 子どもが ひとりで 行くには 危ない 場所である。 民俗学者 小松和彦は 『妖怪学新考』 (1994 小学館、 のち 講談社学術文庫) のなかで、 こう 書いている。
妖怪を 生み出す 場所は、 共同体の 秩序が ゆらぐ 境界領域である。 山と 里の あいだ、 昼と 夜の あいだ、 生と 死の あいだ ─ そこに 「人ならざる もの」 を 配することで、 人びとは 境界を 渡る さいの 危うさ を 言葉にしてきた。小松和彦『妖怪学新考 ─ 妖怪からみる日本人の心』 (1994)
この 視点で 並べなおすと、 妖怪と しつけの 結びつきは 思いのほか 具体的である。
- 鬼 ─ 夜更かし、 わがまま、 食わず嫌い。 家の 中で 起きる 行動 全般に かぶせられる、 一番 汎用な 警報装置。
- 河童 ─ 川での ひとり遊び。 浅瀬と 深みの 境目が 見えにくい 川は、 毎年 子の 命を 奪ってきた。 河童に 尻子玉を 抜かれる、 という 言いかたは、 その 危険を 物語に 翻訳したもの である。
- 雪女 ─ 冬山、 吹雪のなかでの 単独行動。 視界を 失えば あっけなく 凍死する 雪国で、 大人にも 子にも 刺さる 警告だった。
- 山姥 ─ 子が ひとりで 山に 入ること。 山菜採りや 薪拾いの 途中で 迷えば、 帰路は とたんに 危うくなる。
- 砂かけ婆 ─ 寂しい 道、 神社の 裏。 油断して 歩く ところに 砂を 浴びせる、 という「気を 散らさせる」 妖怪は、 道中の 注意を 促した。
- 子取り ─ 知らない 人に ついていくこと。 「悪い 人さらいが 来るよ」 が 形を とった、 と 考えてよい。
- 産女 (うぶめ)、 共食み の 類 ─ 夜の 川辺・墓地。 死と 出産という、 共同体が 触れにくい 領域に 妖怪が 置かれた。
妖怪は、 危険のある 場所への 文化的な 警報装置として 機能してきた。 共同体の 知恵を 物語に 包んで、 ひとつ ひとつの 場所に 結びつけて 伝える 仕組み である。 「夜の 川辺は 危ない」 と だけ 言われても 子どもには 届かない。 けれども 「夜の 川には 河童が 出る」 と 聞けば、 その 場所には 名前が つき、 行く前に 一拍、 立ち止まる 余地が できる。
「脅かし」 と 「想像力の 共有」 の 違い ─ 現代心理学から
現代の 教育心理学では、 「脅かし」 によって 子を 動かす やり方は、 おおむね 否定的に 評価される。 アメリカの 発達心理学者 Diana Baumrind は 1960 年代、 親の しつけスタイルを 三つに 分類した。 子の 自主性も 規律も 重んじる Authoritative (権威的)、 規律ばかりを 押しつける Authoritarian (権威主義的)、 子に ほぼ 委ねる Permissive (放任的)。 後年の 研究で、 もっとも 発達に よいのは Authoritative であり、 恐怖で 行動を 制する Authoritarian は 長期的に 子の 自己肯定感を 下げる、 と 繰り返し 指摘されてきた。
鬼で 子を 黙らせる 言葉は、 一見 Authoritarian に 見える。 けれども、 現場を よく 観察すると、 そう 単純でも ない。
節分の 夜、 鬼の 面を つけた 大人は ほどなく 面を はずす。 子は 泣きながら 親に 抱きつき、 親は 「もう 大丈夫」 と 背を なでる。 鬼は 外から 来て、 外へ 帰っていく。 親と 子は その 物語を 一緒に 体験している。 親も 子も、 ひととき 鬼を 見上げる 側にまわる。
ここに、 単なる「脅かし」 と「想像力の 共有」 の 分かれ目が ある。 親の 怒気を まっすぐ 子に ぶつけるのが「脅かし」 だとすれば、 親と 子が ひとつの 物語を 一緒に 怖がるのが「想像力の 共有」 である。 後者には、 物語が 終われば 子の 側に 戻ってこられる、 という 抜け道が ある。
とはいえ、 鬼を 持ち出す 言葉が いつも 後者として 機能するとは かぎらない。 親自身が 苛立ちの ピークで「鬼が 来るよ」と 言うとき、 そこに 物語の ふくらみは ない。 ただ 子の 動きを 止めるための、 短い 棒が ふりおろされる だけになる。 同じ 一文でも、 誰が、 どんな 顔つきで 言うかで、 着地する 場所は まったく 違う。
妖怪を 使った しつけ は、 もはや 過去の もの か
現代の 都会の 子は、 山にも 川にも 自由に 入らない。 夜の 墓場を 通る ことも まずない。 砂かけ婆 や 子取り が 担っていた 役割を、 監視カメラと スマートフォンの 位置共有が 代わりに 引き受けている。 妖怪が 物理的な 危険の 警報装置として 機能する 場面は、 確かに 減った。
では、 妖怪を 使った しつけは、 もはや 役目を 終えた 遺物 だろうか。 ─ 必ずしも、 そうとは 言えない。
柳田國男は『妖怪談義』 (1956 講談社) の 序文で、 妖怪を 単なる 迷信や 残滓として 片づける 態度を 戒めている。 妖怪は、 共同体が 子に 伝えたい 何か を、 もっとも わかりやすい 形に たたんで 運ぶ 容器であった ─ という 含意で ある。 容器の 中身は 時代と ともに 変わるが、 容器そのもの は 案外 長持ちする。
いま、 親が 妖怪に 託せる ものは 何だろう。 川での 危険ではなく、 画面の 向こうの 誰かに 心を 持っていかれる 危うさ かもしれない。 山姥に 連れ去られる 不安ではなく、 知らない 場所で 自分の 居場所を 見失う 不安 かもしれない。 妖怪の 物語は、 そうした 現代的な「境界 領域」 にも、 ゆっくり 載せかえる ことが できる。
妖怪を 親と 子が 一緒に 読む 時間 そのもの にも、 しつけ言葉とは 別の 価値が ある。 小豆を 洗う 音が 川辺で 聞こえる、 という小豆洗い の 話を 子に 聞かせる とき、 親は 自分の 子ども時代の 川辺に 一瞬 戻る。 その まなざしを 子は 横で 見ている。 妖怪は、 親が 自分の 過去と 子の 現在を つなぐ ための 細い 橋でもある。
叱る 代わりに、 一緒に 怖がる
妖怪は、 共同体が 子どもを 守ろうと してきた 切実さの、 ひとつの 形である。 単なる 脅し文句として 矮小化するには、 そこに 込められて きた 時間が 長すぎる。 と 同時に、 ふり下ろすだけの 棒に してしまう には、 もったいない 道具でも ある。
次に 川辺で 子の 手を ひく とき、 もしかしたら、 河童の 話 ひとつで 良いのかもしれない。 「ここの 川には、 むかし 河童が いて ね」。 その 一言の あとで、 親と 子は 同じ 川面を 見る。 そういう 瞬間を 重ねてゆくことが、 たぶん「叱る」 という 言葉を、 少しだけ やさしい かたちに 言いかえる ことに なる。