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比較文化

妖怪は 日本だけ? ─ 世界の不思議な存在と 比べてみる

妖怪は 日本だけのものでしょうか。 答えは 半分は そうで、半分は 違います。

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「妖怪って、 日本だけ なんでしょ?」 ─ 七歳の 息子に そう 聞かれたとき、 答えに 詰まった。 「日本だけ」 と 答えれば、 どこか 嘘になる。 「世界中に いるよ」 と 答えれば、 それも ちょっと ずれる。 妖怪は たしかに 日本の ものだが、 世界の あちこちにも、 似た顔の ものたちが ちゃんと 棲んでいる。

では、 どこが 似ていて、 どこが 違うのか。 並べて 眺めるうちに、 じわじわと 浮かんでくる ものが ある。

中国の 鬼怪 ─ 妖怪の、 母なる 一族

妖怪の 系譜を たどっていくと、 まず 海を 越えた 西の 大陸に ぶつかる。 中国には 古くから 鬼怪 (きかい / グイクァイ) と 呼ばれる ものたちが いた。 狐仙、 鬼、 妖、 精 ─ 字面だけで もう、 どこか 親しい。

十七世紀末に 蒲松齢 (ほ・しょうれい) が まとめた『聊斎志異』 (りょうさいしい) には、 化けて 出る 狐や、 人と 恋に 落ちる 鬼の 娘や、 古い 屋敷に 居つく ものたちの 話が、 しめて 五百話 近く 集められている。 これを 読むと、 どうも 自分が 子どもの ころに 触れた や 鬼の 話の 多くが、 ここに 源を もっている らしい、と 気づく。

日本で 玉藻前 として 知られる 九尾の 狐は、 さかのぼれば 中国の 殷 (いん) の 妲己 (だっき) 伝説に たどりつく。 王を たぶらかし、 国を 傾けた 妖狐が、 海を 渡り、 やがて 日本の 鳥羽上皇の 御代に 美姫の 姿で 現れた、 という 物語の 仕立てに なっている。 国境を またぐ 妖怪、 と いってよい。

河童の 一説 ルーツも、 中国の 水鬼 (すいき) ─ 水神信仰の 痕跡 ─ に つながると 言われる。 川や 池の そばに 何かが いる、 という 感覚は、 おそらく 東アジアに かなり 広く 共通している。

ドッケビ、 トロル、 そして フェアリー

韓国には トッケビ (도깨비) と 呼ばれる ものが いる。 日本の と 字も 系譜も 重なる ところが ありながら、 性格は ずいぶん 違う。 鬼の ような おどろおどろしさ よりも、 むしろ いたずら好きで、 人に 富を もたらしたり、 相撲を 挑んできたり する。 「ドッケビ放戯」 (トッケビぱんぎ) という 民間芸能が 残っているくらいで、 民衆と 距離が 近い。 日本の 鬼が もし もう少し 抜けていたら、 トッケビに 似ていたかも しれない、と 思う。

北の 方角に 目を 向けると、 北欧の 山や 岩の 間に トロル(Troll) が いる。 アイスランドや ノルウェーの 民話に 古く 登場する、 巨大で 鈍重な ものたちだ。 J.R.R. Tolkien が 『The Hobbit』 (1937) で 文学化して以来、 西洋ファンタジーの 定番にも なった。 日本の 山姥 や 山男 と どこか 重なるが、 トロルの 方が より 単純 で、 日光に 当たると 石になる、 などと 弱点まで はっきり している。

そして アイルランド・スコットランドには フェアリー(Fairy)、 古い 言い回しでは The Fair Folk が いる。 Yeats が 編んだ『Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry』 (1888) には、 シー (Sídhe) と 呼ばれる 丘の 民の 話が 多く 収められている。

この フェアリーが、 妖怪と 比べると 興味深い。 彼らは 人と 取引する。 名前を 教えると 縛られる、 鉄に 触れると 弱る、 約束を 破ると 罰が 降る ─ そういう 細かな 規則を、 彼らは 持っている。 その 意味では、 日本の 座敷童子や、 約束ごとを 重んじる の 伝承は、 ヨーロッパの フェアリー譚と 響き合う ところが ある。

The Sídhe are the fallen angels who were not good enough to be saved, nor bad enough to be lost.W. B. Yeats, Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry (1888) より、 アイルランドの 古老の 言葉

天国にも 地獄にも 入れなかった 中間の ものたち、 という 言い方は どこか 妖怪にも 似合う。 善でも 悪でも ない。 神でも 人でも ない。 その 「あいだ」 に 棲むものを、 どの 文化も それぞれの 言葉で 名づけてきた。

アルブリヘ ─ 「現代に 生まれた 妖怪」

メキシコに 行くと、 アルブリヘ (Alebrije) という、 極彩色の 不思議な 生き物が 街を 飾っている。 ドラゴンの 体に 蝶の 羽、 犬の 顔に 鳥の 嘴、 という ような、 およそ 現実には いない 合成獣だ。 死者の日 (Día de Muertos) の 飾りや、 観光地の 工芸品としても よく 見かける。

面白いのは、 アルブリヘに 古い 神話的 起源が ない こと だ。 生み出したのは Pedro Linares (ペドロ・リナレス、 1906-1992) という 一人の 紙工芸職人で、 1936 年ごろ、 重い 病で 寝込んでいた とき 見た 夢に 出てきた 生き物 を、 起き上がってから 紙で 造りはじめた、 と 伝えられる。 つまり 二十世紀の 中ごろに 生まれた、 まだ 一世紀も 経っていない 「新しい」 妖怪である。

それなのに、 いまや メキシコ文化に しっかり 根づいている。 この 経緯は、 戦後の 日本で 水木しげる が 漫画を 通じて 妖怪を ふたたび 民衆の 手に 戻した、 あの 流れと どこか 重なる。 妖怪は 古いものだけ ではない。 誰かが 名づけ、 姿を 与え、 物語を 添えれば、 いまでも 生まれてくる。

では、 日本の 妖怪 の 何が 「らしい」 のか

並べて 眺めて、 ようやく 見えてくる ことが ある。

ひとつは、 キャラクター化の 度合い である。 江戸 中期、 鳥山石燕が 『画図百鬼夜行』 (1776) を はじめ とする 一連の 妖怪画譜を 刊行した。 そこには 一体ごとに 名前が あり、 姿が 描かれ、 短い 添え書きが ある。 ろくろ首、 一つ目小僧、 泥田坊、 提灯お化け ─ 数百体の 妖怪が、 まるで 図鑑のように 整理されて 並ぶ。 こういう 系譜化を 早い 時期に これだけ 徹底して やった 文化は、 世界的に 見て 珍しい。 ヨーロッパの フェアリーは 名前 持ちが 少なく、 同じ 種族でも 個別の 顔は 曖昧だった。

もうひとつは、 日常との 連続性 だろう。 北欧の トロルは 山の 奥に いる。 ケルトの フェアリーは 丘の 内側に いる。 中国の 鬼怪は 古い 屋敷や 山荘に いる。 どれも 「異界」 が、 ある程度 遠くに 隔てられている。

ところが 日本の 妖怪は、 鎮守の森の すぐ 裏、 橋の たもと、 蔵の 二階、 古い 桐箪笥の 奥 ─ ふだんの 生活の すぐ 隣に 棲んでいる。 柳田國男 『遠野物語』 (1910) を 読むと、 山の 神 と 田の 神と 家の 神と 妖怪が、 ほとんど 切れ目なく つながって いるのが わかる。 異界が 日常の 縁側に 腰かけている、 と いう 距離感である。

三つ目は、 物に 神性を 認める 系譜の 深さ だ。 箒神唐傘小僧、 古下駄の 化けたもの、 茶釜の 化けたもの ─ いわゆる 付喪神 (つくもがみ) の 系譜は、 百年を 経た 古道具に 魂が 宿る、 という 発想で 出来ている。 物が 生きるという 感覚が これだけ 体系化されている 文化は、 探せば 他にも あるが、 体系化の 細かさは やはり 際立っている。 古い 傘や 箒に までも 顔と 名前が ついて しまう ─ そう 思うと、 日本の 暮らしの 中の あらゆる 物が、 妖怪 予備軍に 見えてくる。

小松和彦 が 『妖怪学新考』 (1994) で 述べた ように、 妖怪は その 文化の 「世界観の 下絵」 のような ものだろう。 何を 異界に 置き、 何を 日常に 引き寄せるか。 何を 名づけ、 何を 名づけずに おくか。 妖怪を 並べてみるとは、 つまり それぞれの 文化が、 世界を どう 切り分けて きたかを 並べて 見ることだ。

子どもと、 世界の 物語を 旅する

七歳の 息子の「妖怪 って 日本だけ?」 に、 結局 こう 答えた。 「世界中に、 似た子たちが いるよ。 でも 日本のは ちょっと 変わってる。 物にも 顔が あったりする」。 息子は 「物に 顔?」 と 訝しんだ あと、 茶箪笥を 真剣に 眺めはじめた。

その 夜、 本棚から アイルランドの 妖精譚と、 中国の 『聊斎志異』 の 子ども向け 抄訳と、 メキシコの アルブリヘの 写真集を 引っ張り 出してきて、 並べて めくった。 息子は アルブリヘを 一番 気に 入った 様子で、 「これ、 ちょっと 河童 みたい」 と 言った。 ぜんぜん 河童 ではないのだが、 子どもの 中で それらが すでに 勝手に 結びつき はじめている のが、 面白かった。

妖怪を 入口に、 世界の 物語を 一緒に 旅する。 中国の 化け狐から、 韓国の トッケビ、 北欧の トロル、 ケルトの フェアリー、 メキシコの アルブリヘへ ─ 国は 違っても、 「何か いる」 と 感じる 心は、 どこの 子どもにも 同じように 宿っている らしい。 そして その 感じ方の 細部が、 文化に よって 少しずつ 違う。 違うから 面白い。

日本の 妖怪が 際立って 見えるのは、 それが いちばん 偉いから では ない。 ただ、 名前を つけるのが 好きで、 物にまで 顔を 描き、 異界を 縁側まで 引き寄せて しまった ─ そういう 癖の ある 文化に、 たまたま 生まれ落ちた からだろう。 その 癖を、 子どもと 並んで 確かめていく 時間は、 思ったより ずっと 豊かに なる。

お子さまと いっしょに

妖怪たちに 会いに行く。

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